紙をめぐる話|紙について話そう。 No.12
永井一正
グラフィックデザイナー
原田祐馬
 アートディレクター、デザイナー

グラフィック表現を探求し続けてきた
永井一正さんと、デザインの新たな
可能性を開拓する原田祐馬さん。
一見、対照的にもみえるお二人が、
紙を介して通底する
デザインへの思いを語り合いました。

2013年2月1日

初出:PAPER'S No.43 2013 春号
※内容は初出時のまま掲載しています

永井一正・原田祐馬

永井 紙の持つ資質の中で特に大切なのは「触覚」だと思うんです。電子メディアが次々と登場している昨今ですが、紙とのいちばんの違いは触覚がないところなんですね
原田 確かに身体で感じるテクスチャーがありませんね。
永井 人間は五感でものを感じる生き物です。それは自然の営みの一部として、生まれたときから備わっている感覚なんですね。紙も自然ですから、その触覚が人間の五感を触発するのだと思います。しかも人間は触覚を視覚で感じることができます。紙を介したグラフィックデザインが面白いのは、そんな風に人間の根源的な部分に由来しているからではないかと私は考えているんです。
原田 永井さんはこれまでどんな紙を使われてきたんですか?
永井 昔は紙の種類があまりなかったのでアート紙を徹底して使うなんてこともありましたが、今ではもうほとんど使っていませんね。初期のポスターでは波光が多かったかな。その後ヴァンヌーボを多用して、最近では
原田 僕はNTラシャのグレー05という紙がすごく好きなんです。単体だと白に見えるのに、別の白と並べてみると少し陰があるように見えるところが気に入っていて。
永井 ルミネッセンスの白さにも他では得難い魅力がありますが、少し陰のある紙もいい味がありますね。
原田 ルミネッセンスのよいところは青みが目立たず、どこか奥に優しさがある白であることだと思います。
永井 白はどうしても青みが出ますから、それを除去する作業は本当に大変だったはずです。「LIFE」シリーズで黒を使う場合には特定のインクジェット用画材を使うのですが、これは本当に黒が深く出る。この深みは他とは比べものになりません。黒が深い分、白が際立って非常に気に入っていたのですが、残念ながら生産中止になってしまうんです。

困難が生む個性。

永井 最近は原画を銅版画でつくることが多いのですが、その理由は人間の個性というのは道具が原始的であるほど出てくると考えているからなんです。たとえばコンピュータを使った線はすべて同じですが、鉛筆で描いた線は100人いれば100通りの線になります。銅版画は生まれて450年あまりが経ちながらその技法はまったく進化していません。銅板に腐食剤を引いて鉄筆で描くのですが、線が細かくて見えにくく、刷るのも非常に困難です。版が反転するので、逆さに描く必要があることも含めてもの凄く手間がかかります。しかしそれ故に自分が出てくるのです。
原田 なるほど。あえて困難な状況をつくることで新しい表現に挑戦しているのですね。
永井 そうです。紙も同じで、あえて波光のように風合いはよいけれども色が出にくい紙にインキをのせたり、二度刷りすることで他にはない味が出てきます。固定観念は捨てて、狙いによってその都度使い分けることが必要だと思います。
原田 銅版画にはとても及びませんが、以前ファーストヴィンテージを使ってつくった「デヴィッド・リンチ展」のフライヤーが似ている経験かもしれません。illustratorの最大パーセンテージでデザインして、事務所のプリンタで出力して、さらに拡大コピーして…ということを続けてノイズだらけのフライヤーをつくりました。リンチの映像が持つノイズ性と展覧会のテーマである「暴力と静寂に潜むカオス」をグラフィック上に実現したかったので、あえて手間のかかるつくり方をしたんです。見た人に「読めないよ!」と怒られたりもしましたが(笑)。
永井 「きれい」と「美しい」は違うものですからね。私はデザインの中に混沌を折り込みたいと思っていて、完全に整理されたものからはみ出したものをつくってきたんです。それはきれいではないけれども、一種の美しさでもあるんです。「LIFE」シリーズで動物や爬虫類を描くのも、彼らには割り切れない美しさがあるからです。新しく力強い表現をつくろうと思ったら、紙の選択や印刷方法も含めて、これまでデザインが避けてきた部分から出発するしかないのではないでしょうか。

「こと」から始まる。

原田 僕の場合、紙やデザインは最後に出てくるものです。例えば、神戸の和菓子屋さんと開発した「みたらしだんご」は、味の部分から関わってつくっています。仕事の関係で日本中をうろうろするのですが、そこでみつけた素材を開発メンバーと味見して、みんなで相談して原材料に変えていく。パッケージデザインは味が完成したあとの話です。デザインは仕事の流れの最後に、定着させるものとして役立つものだと思います。
永井 それも大きくいうとデザインですよね。デザイナーにはバランス感覚が必要なんですね。必ずしも視覚だけではなくて味覚等も含めて「これは違う」と分かる感覚。それがあるのは優れたデザイナーの資質を持っている証拠だと思います。デザイナーの意識次第で掘り起こせることはたくさんあるんです。それは、今まで気づかなかったことを誰かに気づかせるということです。そのとき大切になるのは「みんなで一緒にやっていく」こと。ひとりの人間のちからなんて小さなものですから、大勢の人たちに伝え、つなげることで、初めて世の中に広がっていく。それこそが今の時代におけるデザインなのかもしれません。デザインの究極はコミュニケーションですからね。
原田 今、瀬戸内国際芸術祭2013の小豆島・醤の郷+坂手港プロジェクトの企画運営を担当していますが、ここでの関わりも最初は何もデザインしていません。じゃあ何をするのかというと、街のおじちゃんたちと親密にコミュニケーションをしています。そうでないと、僕らが何者であるかが伝わらない。従来のデザインの流れとは違うかもしれませんが、そんなところから始めるのがとても面白いんです。
永井 大勢の人たちを巻き込みながら一緒に実行するという「こと」を起こす所からしか、新しいデザインの広がりや意味は生まれて来ないのかもしれませんね。小さな営みではあるけれど、私が「LIFE」を自主的につくっているのも動機としては同じなんです。歳を重ねてしまった私には原田さんと同じような活動はできないけれども、これからも自分の築いてきたデザインをより深め、見てくれる人に何らかの感動を与えることができたら幸せです。銅版画にしても、自分ひとりではなくて、作品を見てくれた人たちの反応があるから続けられているのだと思います。そして、かたちは違うかもしれませんが、原田さんのように、同じような考えを持って実行している良い後輩が出てきてくれたことは、非常に嬉しいことだと思っています。

根源をデザインする。

原田 紙をデザインするとき、僕はまず「それがどのように手に取られるのか」ということから考え始めます。たとえばデザイナーの奥村昭夫さんの展覧会の仕事では、目を凝らさないと読み取れないフライヤーをつくりました。いまの世の中って何でもはっきりと見えてしまうものが多いですよね。だからあえてその逆をいってみれば、みんなが注目してくれるんじゃないかと考えたんです。
永井 直截に分かるものよりも、明快さを回避した表現の方がより深い理解を生むものですよね。私も常々、分かりやすいコミュニケーションはしたくない、という思いを持ってデザインをしています。すぐに理解できてしまうものは「ああわかった」だけで終わってしまいますから。それでは表面しか伝わらないし、伝えたいこともすぐに消費されてしまう。
原田 そう思います。だからオリジナルであるかどうかよりも、それが貼られたときの状況そのものを考えてつくることを大切にしているんです。奥村さんの展覧会でも、ただ告知するのではなくて出発点から関わっていくことが大切ではないかと思い、企画そのものから提案したんです。ただ仕事を並べるだけの展覧会では面白くないと考えて、会場の一部を研究室にして、奥村さんが実際に仕事をしている姿を来場者の方に見てもらい、仕事まで発注できるという仕組みを提案しました。タイトルも「奥村昭夫の仕事展」から「奥村昭夫と仕事展」に変えて。
永井 それは面白い。つまり表面ではなくて、根っこの部分からデザインしているということですよね。「LIFE」シリーズについてときどき「これは環境の何を訴えているのか?」なんてことを聞かれることがあるのですが、そんなに表面的な話ではないんです。もちろん底辺には「環境問題」とか「動物との共生」がありますが、実際にはそれよりもっと原初的な「生きる」ということの不思議さや尊さを訴えていきたいという思いでつくっているんですね。分かりやすいものではないかもしれませんが、分かりにくいからこそ「生命」という奥深いものについて、立ち止まって真剣に考えてもらうことができると信じているんです。

五感を再生するデザイン。

原田 さきほど「触覚」という話がありましたが、それを聞いて以前つくったヴァレリオ・オルジャティという建築家の展覧会でつくったフライヤーを思い出しました。石工でできた建築模型の展示会だったのですが、展覧会の空気感をフライヤーからも伝えるために、マットカラーHGという石工のような触覚を持った紙を使ってみたんです。
永井 紙を使って、紙以外の物質の質感を表現できできるのも、グラフィックデザインならではの特質ですね。
原田 黒がのりにくい紙なのにも関わらず、黒を三色刷りするというよく分からないことも試してみました(笑)
永井 一見よく分からないかもしれないけれども、そういう積み重ねが表現の確かな奥行きになるんですよ。紙って、インキののりや発色の良さだけじゃなくて、そこから感じられる深み、テクスチャーが大事ですから。
原田 建設の専門学校の入学案内も触覚を意識してつくったものでした。大工さんにふさわしい紙ってないかな、と探していたときに竹尾さんが持ってきてくれた紙がメルトGSスピリット。これはソードダスト、つまりのこぎりくずでつくった再生紙なんです。この紙のおかげで学校がその由来を説明がしたくなるようなストーリー性のある表紙になりました。
永井 グラフィックデザインって、のこぎりくずを再生紙にするように、自然の中で感じる五感をもう一度自分で組み立て直すことなんですね。持っているのに忘れていたものを思い出させることで、深度のあるコミュニケーションを実現するんです。閉塞感に苛まれたこの時代を打ち破るには、人間が根源に立ち返ることが重要になると思いますが、そこにデザインが貢献できる部分がきっとある。これまではコマーシャル的な立場にいたデザインは、これからは物質至上ではない心の豊かさやコミュニケーションのかたちを探り、築き方を示す立場へと変わっていくべきだし、それができると私は考えています。