紙をめぐる話|紙について話そう。 No.18
鹿目尚志
デザイナー
中島信也
 CMディレクター

どんな共通点が?
と思わせるお二人の登場です。
意外にも付き合いは長く、
中島さんが高校生の頃からの仲とのこと。
鹿目さんは中島さんの結婚式の
仲人もされたそうです。
今回は、そんなお二人がそれぞれの
職能から考察する紙のこれまでと
これからをお話くださいました。

2015年3月4日

初出:PAPER'S No.49 2015 春号
※内容は初出時のまま掲載しています

鹿目尚志・中島信也

中島 鹿目先生との最初の出会いは高校生の時でしたね。当時僕は女の子にモテたくてバンドで食っていこうとしていて(笑)。でも親に反対されたんですね。じゃあ憧れのジョン・レノンに倣ってアートスクールに通おうと(笑)。それで父に相談したら、鹿目先生を紹介されて。
鹿目 そうそう。「じゃあ東京藝大を受けたら?」って僕が言ったんだよね。
中島 それで油画科を目指すことにしたんですが、その時に始めて「紙」という存在を意識したんです。木炭紙との出会いですね。紙というより圧倒的な壁のような存在におののいて。
鹿目 僕の場合は、紙を最初に意識したのはトイレの紙ですね。小学校四年生くらいの時だったかな、建築中の実家のトイレの穴ぼこに入って遊んでたんですよ。もちろんまだ使ってないトイレですよ(笑)。その穴の脇に置かれた紙に目を惹かれた。茶色っぽいザラザラの紙でね。昔は紙質が悪かったので紙が固いんですよ。だから、使う前に手でよく揉んで柔らかくするんです。その紙の色合いと質感がいまでも不思議と鮮明に残っていますね。

ぼそーっとして、ぼこーんとした、

中島 結局僕は油画を早々に諦めて(笑)、現在CMディレクターをやっているわけですが、映像の設計士として今でも紙に絵を描くことから仕事を始めています。鉛筆で絵コンテを描く習慣はこの仕事に就いてからずっと変わりませんね。先生もパッケージをデザインする時には最初に絵を描くんですか?それともいきなり物体と格闘する?
鹿目 描くことは描くけれども、基本的には立体をつくって格闘するほうだね。
中島 油画科出身なのに立体なんですか? かたちそのものから入りたいってことでしょうか。
鹿目 もともと平面より立体造形が好きだったんです。素材が大好きだから、いろいろな素材を使ってきましたけれど、紙とは縁が深いですよ。パッケージはもちろん、紙でつくった立体物を集めて展覧会をやったこともありましたし、和紙を使ったプロダクトブランドのために「SHIMUS(紙結)」という名前を考えて和紙の会社をつくるお手伝いもしました。紙ってあったかいよね。
中島 パッケージデザイナーって2種類のタイプがいますよね。モノの表面をデザインする人と、モノそのものをデザインする人。先生は後者ですよね。パッケージというよりプロダクトデザインに近いというか。「キリカブ」や「コイス」という紙の椅子もつくっていますよね。
鹿目 うん、使い捨てられた紙たちを溶かした再生紙に狂ったね。あの肌合いに惚れ込んでしまって。ぬくもりがあるでしょう。最初につくったのがワインボトルでね、ぎゅーっと抱えて持たなくちゃいけないパッケージなんです。実はドンペリ用もあるんだ(笑)。
中島 でも先生って、昔から採算なんて気にされてましたっけ(笑)。
鹿目 気にしてるよ(笑)。商品パッケージの場合は、企業が利潤を得るための道具になるかどうかをしっかり考えますよ。でも今はパッケージがビジネスとしての成功に偏り過ぎている気がしますね。企業の制約が厳しいから個性がなくなり、無難なデザインが多くてつまらない。パッケージデザイナーはもっと積極性をもってその壁を打ち破るクリエイティビティを示して欲しいと思いますね。昔の日本の伝統パッケージには、その土地に根付いた独特なパッケージがたくさんあったんだけどね。
中島 そもそも先生にとってのパッケージの原点って何なんでしょうか?
鹿目 僕はパッケージの根源は鶏の卵だと思っています。卵って産み落とされた後に転がっても、巣の周辺を回るだけでしょう。機能的にそうなっているんですね。まん丸だとどこかに行っちゃうから、鋭角的な所と鈍角的な所がある。殻は薄いけどなかなか割れにくい。殻の中では紐状のカラザが黄身を吊るして、卵白がその周りをすっぽり覆って生命を守っている。やがてひよこが殻を破って誕生する。そして殻は土に還るんです。卵はシンプルで美しいかたちを持つ最高のパッケージですよ。この原点に戻ってパッケージデザインを考えていきたいですね。

紙って、文化のバロメーターなんですよ。

中島 僕はCMは表現物で、そのもの自体に値打ちがあると思っています。素敵な表現物を出す企業ってきっとみんなが好きになるし、大元としての人と企業の関係をつなぐはずです。だから人を楽しませるとか、質が高いとか、独創的とか、表現物として大きな価値を持つものをつくらないと。それが資本主義社会の中での豊かさですよね。でもそれが蔑ろにされて、効率や売り上げだけを目指すツールとして扱われてしまったら、喜びや悲しみのような、人の心を動かすものではなくなってしまう。広告の世界はどんどん世知辛くなっていますが、僕もそろそろおっさんとして値打ちが出始めているので(笑)、このことを声にしていきたいと思っています。何だか紙の話からずれてきましたけど(笑)、このメッセージだけは伝えたかったんです。
鹿目 パッケージもいまの話と全く同感です。多くの企業は売るための手段として考えるわけですが、パッケージは生活と密着していて、中身が何であるかが表現されていることが大切ですよね。風呂敷は日本人の「包む」心の大切さを表現しているものだと思いませんか。包むとは中国では母親がお腹に胎児を抱えている象形文字からできた言葉です。それほど大切なものを差し上げたいという、その気持ちが包むことなんですね。だから、「自分にとってパッケージとは何か」を真剣に考えないといけないんですよ。例えば自分の人生もパッケージされているかもしれないし、色んな解釈ができる。そこから感じて何が出せるのか、自分のクリエイティビティが問われている。オリジナリティに基づく多様性が大切なんです。
中島 紙も同じですよね。僕は紙って人々の表現に対する繊細さのバロメーターだと思うんですよ。紙なんて2種類でいいっていう人もいるかもしれませんが、紙の豊富さは文化の豊富さじゃないですか。社会の文化度が経済効率に負けて、データだけでいい、紙は白だけで、パッケージは安いのでとなったら、幸福度が下がりますよ。楽しみが減りますから。だから竹尾の紙見本の数は日本文化の一つのバロメーターになる…あれ? うまくまとまっちゃいましたけど(笑)、話を続けましょう(笑)。

「俺の椅子!」みたいな存在感。

中島 僕は先生と比べれば紙との関わりは微かなものですが、それでもやっぱり紙はないと困るものですね。ただ最近の若いクリエイターを見ると、紙を使わなくなってきていますね。絵コンテもタブレットに描くんですよ。僕も試しましたがダメでしたね。すぐにメールで送れたりして便利は便利なんですけど、鉛筆でさっと描き加えたりできないでしょう…言い訳とかをね(笑)。
鹿目 デザイナーによってはデータ納品だけでまったく紙に触れない人もいるしね。
中島 最近、大学の教え子で電通にいる八木秀人と仕事をすることが多いんですが、彼は試し刷りに必ず6、7種類の紙を使うんです。見るとそれぞれ明らかに違うんですよね、伝わってくるものが。コストの問題は当然ありますけど、紙の違いの面白さを知る人が減るのは残念なことですよ。
鹿目 パッケージデザインの話でいうと、さっきのモールドもそうだけど、今は様々な制約を強いられますよね。企業の眼が商品を売ることに集中しているから。そうなると紙を自由に使うのが難しくなる。かたち一つとっても、陳列や運搬のためには真四角でないと効率が悪い、だから面白いかたちはできないと。不満ですね。企業はもっと余裕を持って「うちはそんなつまんないことはやらないよ」と言ってほしい。「あのパッケージが欲しい」と思われるようなものが出てくるべきだよ。
中島 そうですね。でも先生って、パッケージデザインをばりばりやってる時代ってあったんですか?
鹿目 ないですね。
中島 ないんですか(笑)。
鹿目 元々型にはまりたくないぞ、という不純な動機でやっていますからね。何かこう、ぐにゃぐにゃっとした有機的なものに取り憑かれていたんですね。仕事としてはあんまりやりたくないかなと。そもそも油絵科に入った動機も、好きなことができるだろうってことで(笑)。とにかく押さえ込まれるのが嫌なんですね。理性としてはいいと思っていても肉体的に拒否する感じ。でもこんなこと言うと仕事こなくなるね(笑)。
中島 いやいやくると思いますよ。先生は美術系の方だから、抑圧から解放されたい衝動が根本として強いんでしょうね。
鹿目 制約されない自分の思いを綴りたいということなんだね。アート性がないとおもしろくないと思うんだよ。パッケージをアートとして考えてみてもおもしろいと思っているんです。頼まれて同じものをたくさんつくるんじゃなくて「俺の椅子!」みたいな存在感のあるものをつくりたいなあ。自分の個性が受け入れられて、商品がヒットすることが理想ですけどね。

俳句の感覚でつくればいいんだ。

中島 僕は2008年から、鹿目先生のご指名で「パッケージ幸福論」というパッケージデザイナーたちの展覧会のディレクションをやっているんですが、これが少し悩みの種でして(笑)。パッケージを通じて人の幸福を探る試みなんですが、参加者はみなさん職業人として日々訓練を受けてきた方々なので、表現としてなかなか突破できないんですね。元々は自由や解放を求めたり、四角四面なことを嫌っていても、長年仕事するうちにそれが心の奥底に眠らされてしまう。そんなうにゅうにゅした眠れる衝動を先生の激で目覚めさせる展覧会にしたいんですが、なかなか難しい。どうしても美しいものができてしまう。いくら先生が仕事じゃなくてといっても、そこは仕事としてやってこなかった先生との差がね…(笑)
鹿目 もっと裸になって自分をさらけ出さないといけないんですよ。でも僕がどれだけクリエイティブな話をしても、出てくるものは仕事っぽくてさ。
中島 そんなこと言って先生、いつもろくにお話されずにすぐに帰っちゃうんだから(笑)。今年は何とかしたいんですよね。がんばりますね。そうしないと面白くないですからね。でも不思議なことに、パッケージ幸福論のメンバーで句会をやると自然と自由な発想が出てくるんですよね。
鹿目 そうなんだよ、だからパッケージ幸福論も俳句みたいにつくったらいいんだよ。
中島 デザインと同じでルールがあるからかな。その中でどれだけ面白くなるか。デザイナーなので五七五の使い方がうまいんですね。詰め込み方も上手。デザインできているんですよね。それを半紙でやるとさらに雰囲気が出て楽しい。
鹿目 半紙だと、うまく書けなくても味が出るというか、かえって下手に書いたほうが自由なおもしろさが見えてくるかもね。
中島 うーん、わかってきました。パッケージ幸福論のコンセプトは俳句。これでいきましょう(笑)

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