紙をめぐる話|紙について話そう。 No.20
五十嵐威暢
アーティスト
田中義久
 グラフィックデザイナー

紙へのまなざしが純粋。
そう感じさせられた時間でした。
デザインと美術の世界を横断してきた
おふたりの視点と対話から、
これからの紙の在り方が見えてきます。

2015年11月19日

初出:PAPER'S No.51 2015 冬号
※内容は初出時のまま掲載しています

五十嵐威暢・田中義久

五十嵐 突然だけど、田中さんが育った家は日本家屋だった?
田中
普通の住宅メーカーの家でした。ただ場所が特殊で、森の中の滝だった土地を埋め立てて建てたんです。鶏を50羽くらい放し飼いして、毎日森で遊んでるような暮らしでしたね。でも本当に突然の質問ですね(笑)。
五十嵐 子供の頃は自然の中で遊んでいたんだね。僕は北海道の空知平野の出身。車で数分移動すると水田や畑、緑が広がる自然豊かな場所でした。そこに建てた日本家屋で生まれ育ったんだけど、当時の僕は虚弱児だったからほとんど小学校に通えなかった。小学校一年生のときは通算で3ヶ月行けたかどうか。関係ないようだけど、これが今日の話につながるんです。

 

生き方が、紙になる。

五十嵐
学校を休んで部屋で寝ていると、退屈だから天井や欄間、襖や障子を意識して見るようになる。すると段々と気がついてくるんだよね。あぁ、日本の家は紙と木でできているんだなって。畳に障子の影が、障子には樹木の木漏れ日が落ちて光によって変化するようなことも全部わかってくる。
田中 その当時から紙を意識されていたんですね。
五十嵐 ほとんどの日本人は知らず知らずにそういう世界で暮らしてきたんですね。しかも虚飾することなく、高度になるほど何もない世界に向かっていく。紙の文化がここまで溶け込んでいる国はほとんどないんじゃないかな。
田中 紙とともに庭の造形、光や風の入れ方までシステマチックにつくりあげているのは、確かに日本人くらいかもしれませんね。紙の種類がこんなに多い国もないですよね。
五十嵐 食べ物だってきちんと包装されている。京都は特に顕著だけど、紙の風合いを生かしたパッケージが何百年も前からたくさんつくられてきた。たとえば米俵はある時代から紙を使うようになったのだけど、お米を入れたあとに紙の米俵を糸で縫っているでしょう。ああいう発想ってあまりないよ。
田中 紙の強度の出し方もそうですね。何本かの繊維を捻って紙を強くするとか、一見すると原始的なんだけどセンスがいい。しかもそれが日常レベルまで浸透していますね。町の八百屋さんが野菜や卵を包む包装紙も的確に紙が選ばれていて、とても美しかったりしますし。
五十嵐 紙の扱いが本当に繊細で丁寧。暮らし方、生き方が現れているよね。
田中 本当にそうですね。僕は今『疾駆』という生活文化誌をつくっているんですが、この仕事を通じて紙と暮らし、紙と土地が深い結びつきにあることを実感するようになりました。毎号テーマになる地域を決めて、その土地に根付いた文化背景をニュートラルに捉えながら自分たちなりにおもしろい部分を探すという編集方針なんですが、大きな特徴のひとつとして装丁や本文ページにその土地の紙を使っていることがあるんです。
五十嵐 それはおもしろいね。でもそんな風に地域ごとに紙はあるの?
田中 今のところはできていますね。その土地の紙って、その土地の文化紹介と相性がいいんです。最新号は伊豆半島の三島がテーマなんですが、富士山からもたらされる豊かな水と、その水でつくられる素晴らしい紙があって、それがそのまま本になっています。
五十嵐 なるほどなあ。こっちにあるNerholの「Portrait」はどんな紙を使っているの?等高線のようだけど、これは紙の断面が見えているんだよね。
田中 この紙は一般的な微塗工紙です。写真としての強度が出すぎないようにあえて印刷適性が高くない紙を選んでいて。つくり方は、200枚重ねたポートレイトを普通のオルファのカッターで断面を1mmずつ残しながらカットしています。次の紙が切れない程度の力で一枚ずつ剥ぐ感覚というか。
五十嵐 フリーハンドだから仕上がりが一定じゃないところがいい。でもそれを操っているのは手だけじゃない。ジャズのアドリブと同じで大枠の方針は決まっているんだけど、人間の運動能力をはじめ体中すべてのものがそこに影響していて、コントロールできるようでできない世界が線として浮き上がってくる。そういう意味では彫刻なんだよね。
田中 切った後にどういう動きが出るのか僕らも把握しきれていないんです。木を彫ると節目にぶつかるのと同じように、そのタイミングごとに瞬間的に反応している。確かに彫刻的なんです。実際にこれを彫っている飯田竜太はこれまで何千回も紙を彫り込んでいるので、もはや頭でなく体で自然に動いているだけなんですね。彫り終えた後に紙が起伏してできる隙間も、ひとつの揺らぎとしてそのまま生かしています。
五十嵐 表具の名人と同じだね。重ねた襖紙を上から三枚だけ切ろうとすると、見事に三枚目だけが切れていて四枚目は傷ひとつ付かない。「Portrait」は三次元グリッドで考えると極めてシンプルだけど、揺れ動くものがあるからそれをはるかに超えた世界が生まれているね。
田中 素材とのせめぎ合いによって、こちらが意図していないものまで内包されてくるイメージはありますね。

 

まっさらに紙を見れば、そこに。

五十嵐 今はデザインに対して優しい時代だよね。ピースフルで豊かな世界を求められている。紙もハードなものより風合いのある方が好まれる。その結果、日本の古いものも見直されてきているよね。そういう意味では良い時代だと思う。
田中 大量生産、大量消費の次の段階というか、インターネットが広がったことで、消費を前提としない、手元にアーカイブするためのものとしての存在価値が高まってきていますよね。だから紙本来の素材感、風合いが求められている。同時にデジタル的なRGB、高い彩度や蛍光色が増えている印象もありますね。
五十嵐 手紙の世界で考えるとわかりやすいね。伝達に便利な手段としてメールが発明された。でもやっぱり手紙というふくよかな文化があって、日本人はその豊かさをよく知っている。どんなものにもいつも両面がある。
田中 本当にそうですね。両面あることで曖昧だったものが精査されていく感じがあります。紙である必要がないものは紙でなくていいんですよね。
五十嵐 一方で、紙を使ったデザインの発想が硬直化している感じもする。紙でデザインするというとすぐにグラフィック処理して印刷、なんて方法に短絡的につなげがちなんだけど、それを見直せばガラッと変わる。接着は糊じゃなくて糸で縫うとかね。印刷じゃなくて全部手書きにしてみるとか。そういう自由な発想が減っている。パッケージだって矩形とか箱とは限らないわけだから。量産ばかりに目がいっているんだろうね。
田中 その点、本は実験的なメディアになってきていますね。特にアート本は部数が数百、数千部なので自由度もかなり広がる。使える紙も二万種類くらいあるし、製本もゴムでとめてもいいですし。装飾するではなくて、素材をどう使うかって視点にすると見たこともないものが生まれるはず。大量生産というレーンに乗らなくていい今だからこそ、そんな発想ができるような気がするんです。

 

デザインと美術は交われるのか。

田中 今日はぜひ五十嵐さんに直接お聞きしたかったことがあるんです。僕は飯田との出会いから現代美術の世界に踏み込んでいったわけですが、五十嵐さんはどんな経緯で彫刻の世界に入られたのかと。そもそも僕が五十嵐さんの存在を初めて知ったのは、アントワープのファッションミュージアムが発行していたNo.マガジン『B』でした。当時はアントワープのファッションデザインが盛り上がっている頃で、その流れで何気なくページをめくっていたら、突然「五十嵐」という日本名が飛び込んできた。これは何だと本当に驚いたんです。
五十嵐 あの雑誌はファッションデザイナーがキュレーションをしているんだよね。『B』の担当はベルンハルト・ヴィルヘルム。僕は彼のことを知らなかったのだけど、ある日連絡がきて、あなたのデザインのファンだから参加してくれと。ファッションの雑誌で何をやればいいのかと思ったけど、まったく自由でいいと言われた。そこでBの文字をアクソメで立体化したグラフィックと、当時つくっていたアート作品の写真を送ったんです。
田中 僕が学生の時、アントワープはファッションの最先端にありました。その場所で日本人としてフィーチャーされていることが印象的だったんです。五十嵐さんの作品は、立体性を帯びているタイポグラフィについては彫刻の概念と素直に結び付けられるんですが、一方でサントリーのようなグラフィックの王道であるサイン計画も手がけられてきましたよね。そこからどんな風に彫刻家に転身されたのか。僕も今結果的に同じような状況にあるので、その流れが気になったんです。
五十嵐 僕がデザインの仕事を始めた70年代は、オイルショックなどもあって経済的にとても厳しい時代でした。中学生の頃からずっと彫刻で生きていきたいと思っていたんだけど、食えないからと周りの人たちに反対されて、やむなくデザインの道に進んだんです。でも今振り返ってみると、ある意味それはとても恵まれた選択だった。デザインが躍進していく時代で、大変ながらも仕事はスムーズに進んでいったからね。ただ、たまたま海外の仕事が多かったこともあって早くから欧米の動きが見えていて、日本がその後追いをするだろうと気づいてしまった。それがきっかけで段々とデザインから離れたくなっていったんですね。だから50歳になったら違うことをやろうと決めて、元々やりたかった彫刻を選んだ。その後、様々な出会いを通して彫刻の世界は人生のまるごとを捧げなければいけない世界だと気がついて、デザイナー時代の方法論とはまったく違う世界を自分の中につくるためにロサンゼルスに引っ越したんですね。そのまま20年が経って、今がある。
田中 そうだったんですね。僕の場合は、祖父が油絵を描いていた影響で小さな頃から油絵が日常に存在していました。田舎だったので、いじめられないように一人でこっそりと描いていました。でも親に絵では食えないと言われて選んだのがグラフィックデザインでした。その後仕事をしていく中で本のデザインを特に評価してもらえるようになり、さらに彫刻家に出会ったことでデザインと美術の世界が交差していった。デザインと美術は携わるほどに両者の文脈の違いが見えてきますが、それを理解した上でそれぞれがつながる可能性、ウィンウィンになる道があるんじゃないかと考えるようになって、今はどちらも一生続けていきたいと思っています。
五十嵐 僕も最初はね、グラフィックと彫刻を一つにしようと考えたんだけど、やってみて別れていった。やっぱり他者からの発注か自分でつくるかという違いがとても大きかった。ファインアートをやる知り合いが増えるにつれて、自らの手でものをつくることの素晴らしさを思い知らされていったんだ。

 

100%論理、0%自己表現。

五十嵐 自分でも理由がわからないけど、本が大好きなんです。買わなくていい本でもついつい買ってしまう。
田中 僕もそうです。
五十嵐 結局持ちきれなくて人にあげたりするんだけどね。でも本は自分では手がけない方がいいと思ってほとんどつくったことがないんだ。ただ、編集という手法はグラフィックにもプロダクトにも活用できるから、プレゼンテーションのためのエディトリアルデザインは随分やってきた。コンセプトから完成品までの論理をエディトリアルで簡潔に説明できるから、それを配るだけでプレゼンテーションが成り立つ。大学でプロダクトの授業をやるときも小冊子をつくって配っています。でも本のデザインはやっていなくて。
田中 ご自身の本もですか?
五十嵐 うん、作品集も他人のデザイン。注文を付けることはあるけど、基本的には出版の許可と素材を渡すだけ。
田中 自分の表現を本に落とし込むことをされなかったんですね。僕の場合も、美術をやり始めてから自分の作家性を表現しようという発想自体がなくなりました。作家のため、それを伝えていきたい人のため、出版社のためだけに本をつくる。そのために紙をどうするか、重さは、大きさは、ページネーションは……と考えると必然的な要素以外、何も残らないんです。
五十嵐 一方で、多くの日本人デザイナーはそうでない部分を持っているよね。だからグラフィックデザイナーが個展を開く。アメリカではそういうことはないよね。ただヨーロッパにはいる。ヨーロッパは仕事以外にも自分のプロジェクトを持ったデザイナーじゃないと評価されないから。
田中 自分がどういうプロジェクトを押し出して、どういう考え方なのか、そのロジックを見せないと認められない部分がありますよね。僕は日本でデザイナーが個展を開くことがいまいち腑に落ちないんです。たとえば50年代や60年代にグラフィックデザインを啓蒙するための展覧会を開催したことは理解できます。でも今の日本はアドバタイジングが主流でしょう。その仕事はすべてクライアントに寄与するものなのに、なぜ個人名で個展を開き、仕事を見せる必要があるのか。
五十嵐 そうだね。ロゴをつくるデザイナーと広告を考えるデザイナーは本来、まるで違うからね。ただ、ロサンゼルスのエドワード・ルシェは元々広告代理店のデザイナーなんだよね。だから印刷に精通していて、作品も印刷物ですよね。彼はおもしろい仕事をしている。
田中 確かにそうですね。ちょうど僕は今、写真家のホンマタカシさんとPOST代表の中島さんと一緒に彼のオマージュ作品をつくっているところなんです。「THIRTYFOUR PARKING LOTS」に代表されるタイポロジーの系譜でつくられた作品集のオマージュなんですが、ホンマさんが撮影してきた世界各国のパーキングを用い、レイアウトや印刷の線数、造本に至るまで1967年に発行されたルシェのオリジナルに忠実に則っています。シリーズが10冊くらいたまったら彼に送りたいと思っています。
五十嵐 それはきっと本人も喜ぶだろうね。
田中 ルシェのタイポロジーシリーズは世界的にオマージュされていて、それだけで400ページくらいの本が出ていたりします。彼はメディアも紙も時代も常に意識して、それを作品に生かしているので日頃から注目して見るようにしていますね。
五十嵐 ロンドンのデザイン会社ペンタグラムの創立者の一人であるアラン・フレッチャーもおもしろいよ。彼は仕事をリタイヤした後、自分で絵本をつくり始めたんだけど、それを半年に一度くらいの頻度で送ってくれたんだ。残念ながら4冊くらい出した頃に亡くなってしまったんだけど、どの絵本も実にいいんです。簡単な製本と、なかなか素敵な紙の選定をしていてね。人生としても、いい終わり方だなあっていうかね。僕がもっとも尊敬して、もっとも好きだった人ですね。
田中 それは素敵な話ですね。五十嵐さんも同じことを彫刻作品でやられてみてはいかがでしょうか。送っていただけたらうれしいです(笑)。