紙をめぐる話|紙について話そう。 No.25
渡邉良重
アートディレクター
柿木原政広
 アートディレクター

同じデザイン会社の出身で、
先輩・後輩にあたるおふたり。
具体的なお仕事の例も挙げながら、
それぞれの紙との付き合い方を
じっくり語っていただきました。

2017年10月17日

初出:PAPER'S No.56 2018 春号
※内容は初出時のまま掲載しています

渡邉良重・柿木原政広

渡邉 二人で一緒に仕事をしたことはないよね。男の人って、成長が早い。柿くんはコンセプトを立てたり、まとめたりすることが、どんどん上手になっていくんです。気が付いたら独立していて。デザインも生き方も含め、自分がやりたいことにうまく人を巻き込んで、自分の生きていく道をつくっていくのが上手いなと思います。人に好かれるというのが大きいと思いますね。楽しく生きていける素質を持っている感じがします。
柿木原 ありがとうございます。言語を覚えるとコミュニケーションが広がるように、デザインを覚えてその先に広がる何かがあるということは、意識していた気がします。でも、ドラフトに入ったばかりの頃は、厳しかったですよ。ドラフトでは、毎年若手のデザイナーを中心にした年賀状の社内コンペがあるのですが、入社1年目のときに、全然票が入らなかったんです。あとから良重さんに感想を聞いたら、「全部よくない」と言われて(笑)。デザイン会社に入って、デザインで勝負しているので、そこがだめだとニッチもサッチもいかない。あのときの良重さんは忘れられないです。

 

紙が先か、デザインが先か。

渡邉 紙の役割は本当に大きくて、同じデザインでも、紙が合っていなかったり、よくなかったりすると全然だめになってしまいます。この紙がいいなと思って校正を出してもよくなくて、紙を変えただけで雰囲気が変わるということはよくあります。最初から紙ありきで考えるケースも多いです。例えば、『BROOCH』という絵本は元はカレンダーだったんです。最初は週めくりカレンダーをつくりたいと思っていたのですが、さすがにお金がかかってしまって。せめて2週間に1回のカレンダーにしようと思ったときに、とにかく紙を安くしなければならなくて、片艶晒クラフト紙がいいなと思ったんです。だけど、この紙は透けてしまう。だったらそれを利用しようということで、アイデアが決まっていきました。『UN DEUX』という絵本も元はカレンダーで、筋入クラフト紙が使いたくて。そこに、白いオペークインキを刷りたいと思ったのが始まりでした。本にするときは、製本が大変すぎると言われて、未晒クラフト紙になったのですが。この紙でなければできなかったというものは、いっぱいあります。
柿木原 僕は、デザインができてから紙を選ぶことの方が多いです。「パトリス・ルコントのドゴラ」という映画のポスターをつくったときは、4色+特色+金のインキを使っていて、そのすべての発色がよくないといけない状況でした。なので、光沢紙とマット紙、何種類かの紙で校正を出したんです。最終的に決めたのは、オペラホワイトゼウスという紙で、その紙だけそれぞれの発色のバランスがよかったんです。それ以降、4色+特色+金の発色を求めるときは、ずっとその紙を使っていたのですが、今はもう生産されなくなってしまったので、代替品を探しています。
渡邉 金、銀、ニスは難しいよね。
柿木原 デザインの経験を重ねていく中で、一時期、紙にこだわらない方がいいと思ったこともありました。大きいクライアントの場合など、紙を選べないケースが多いので、あまり紙に頼らずに、絵としての強さを意識しようとしていました。でも、自分が満足していない紙に刷られた状態で手元に残るのは、やっぱりちょっと寂しいんですよね。最近では、きちんと紙を選べる環境をつくる方が重要だと思って、できるだけ要望するようにしています。それから、印刷を前提とした紙選びも重要ですが、もっと引いた視点での紙選びも大切だと考えています。素材として、木も石もある中で、紙という選択肢があるのではないかと思っていて。2016年に、竹尾の青山見本帖で「役に立たない機械」展という個展を開催したときに、いろいろな種類の紙を使ってモビールをつくったのが楽しくて。紙選びが自由って、やっぱり楽しいじゃないですか。印刷と違って、よりプリミティブに「気持ちいい」とか「質感がおもしろい」という感覚で選べるのが新鮮で。マテリアルとしての紙の可能性を感じました。ポスターを10分間見続けることはありませんが、モビールなら見続けられる。ずっと見ていると、紙の質感や、色の差がわかってくるんです。感覚的に、紙と気持ちよく接することができるツールだと思いました。どちらかというと、プロダクト的な感覚かもしれません。
渡邉 見るからに楽しんでつくっているような展示だね。

 

好きな紙、あったら欲しい紙。

渡邉 最近の仕事だと、亀倉雄策賞受賞記念展のチラシは、マットカラーHGで刷りました。ただ、濃い色は難しいですよね。インキをたくさん乗せるとギラつくので、なかなかマットな質感を出せる紙がなくて。でも、背景は紺にしたかったんです。これを刷るときは困りました。インキの乗りがあまりよくないのはわかっていたんですが、なんとか刷ってみようと思って、 2度刷りして。がんばったらいい色が出たので、最終的には、この紙にしてよかったと思っています。でも、もし希望が言えるなら、インキを重ねても光らなくて、濃度が出る紙が欲しいです。
柿木原 僕は「棟方志功 祈りと旅」展のチラシとポスターをつくったときに、質感が木版っぽくていいなと思ってOKアドニスラフを選んだのですが、時間が経つにつれて黄変してしまって。中質紙は退色しやすいというのは予め聞いていましたが……。美術館に、歴代の企画展のポスターが掲出されているのですが、これだけ大昔のポスターみたいになってしまって(笑)。僕はアドニスラフのような質感で、黄変しない紙が欲しいです。あと、僕がよく使う紙はb7トラネクスト。美術館の仕事など、予算に限りがある中で、ちょっと味のある紙を使いたいときには、b7に落ち着くことが多いです。良重さんは、サンバレーオニオンスキン好きじゃなかった?
渡邉 うん、あの薄い感じが好きだった。でも、あの紙ももうないんだよね。同じレター系だと、レイドプリンティングもよく使います。ボンド紙の中で、値段が適度なのがいいんですよね。私は、なんでも薄いものが好きなんです(笑)。ちょっと透ける感じとか。持ち物でも、重いものが苦手で、軽いものが好き。厚い方が、ぴしっとしていいことはあると思うんですけど。
柿木原 たぶん、薄いから大切に扱わなくちゃって気持ちになるのが、しっくりくるんじゃないかな。でもやっぱり、好きだった紙がなくなってしまうことがちょこちょこあるので、寂しいですね。
渡邉 紙選びには苦労します。長く仕事をしているけど、こんなにもないんだと思うことが多い。白は難しいですよね。ちょっと黄色いとか、赤っぽいとか。中面と封筒で質感は変えたいけど、色は合わせたいというときとか、なかなかない。アラベールは白の中で色がいろいろあるので助かります。電気の光で見るのと、外の光で見るのでは全然違うし。しばらく経つと、なんでもよくなるんだけど(笑)。

 

描くときは、コピー用紙がいい。

柿木原 イラストは何の紙に描いているの?
渡邉 最もよく使うのは、白いコピー用紙。鉛筆も、色鉛筆も、ボールペンも、ペンも、マジックも、全部コピー用紙です。目の強い紙だと、鉛筆を寝かせて描くと味が出ますよね。それはいらないんです。鉛筆を尖らせて、立てて描く。薄いものが好きなのと同じように、テクスチャーの強いものがあまり好きじゃないんです。ぺたんとしたものが好き。鉛筆で塗るときも、線で塗りたい、面で塗りたくない。水彩で描くときは、よく使っていたのはMO紙です。アルシュ紙とか使うと、きれいなにじみが出てしまうのが好きじゃなかった。水彩紙でも目の細かい方が好きなので、荒目はあまり使いません。印刷の紙も、あまり目が強いものは使わないかも。これは好みなので、変わる気もするけど。紙の銘柄はあまり覚えていなくて、マットかつるつるか、印刷したときに光るかマットになるか、色が再現しやすいかしにくいか、というくらい。「あのときのあれってなんだっけ」って、印刷屋さんに聞いたり、まわりの人に聞いたり。でも覚えた方がいいよね(笑)。植原(亮輔)が選んだものをあとから聞いて、使わせてもらうということもよくあります。
柿木原 僕も基本的には仕事ごとに記憶しているので、「あの仕事のあの紙」という感じで引っ張り出してきます。紙もだいたい好きな傾向が出てくるので、好きなものは覚えているんですが。思い出せないときには、印刷屋さんと探したりもします。

 

D-BROSのことと、独立してからのこと。

渡邉 D-BROSは1995年にできたのですが、最初はデザイナーがいなかったんです。私が担当するようになったのは、2年くらい経ってから。宮田(識)さんから「デザイナーが必要なので、やらないか」と言われたのですが、そのとき私はちょうど、グラフィック以外のデザインのことを何も知らないなと自覚していて。商品をつくるとなると、売れなくてはいけないし、紙以外の素材を使うなんてやったことがないしと思って、迷いました。ちょうどその頃、社内でカレンダーのコンペがあって。年末パーティーでお客さまに差し上げるカレンダーのデザインを、毎年コンペで決めていたんです。私はカラペを使ったカレンダーを出して、全然票が入らなかったんですが、宮田さんが「おもしろいからつくろう」と言って、D-BROSの商品にすることになったんです。そのとき、「紙ものもプロダクトなんだ、紙でも商品がつくれるんだ」とはじめて思って、それならできるかもしれないと思って、D-BROSを考えてみることにしました。
柿木原 宮田さんの、人をこの方向に持っていくという判断は、的確ですよね。
渡邉 人をよく見ているんでしょうね。D-BROSに携わるまでは7年間、ずっとラコステの仕事をしていたんです。ラコステの仕事は、王道のどんとした広告で、それはそれで楽しかったんですけど、一方でちょっとしたギフトパッケージやカード、カタログの表紙などもつくる機会があって、それがすごく楽しくて。そういう仕事もがんばりつつ、宮田さんにもちょこちょこアピールしていたんです(笑)。例えば、バレンタインデーに手づくりの立体カードをあげてみたり、木の洗濯ばさみを緑に塗ってワニにして、チョコを挟んであげてみたり。それと並行して、イラストレーションの仕事も別のところでしていたので、そういうちょっとした積み重ねなのかな。あと、カレンダーのコンペはすごくがんばりました。なかなか若いときに自分を見てもらえる仕事ってあまりないし、カレンダーは、純粋に表現として楽しかったので。大きい広告ももちろん訓練になるけど、自分にしかできない何かを見つけようと思うと、グラフィックデザイナーとしてはいいお題だったのかなと思います。
柿木原 カレンダーコンペは、選ばれるとものになる喜びもあるし、人に見てもらえるので、みんな気合を入れてやっていましたね。デザイナーが大勢いる中で、それぞれ個性を出しているので、自分のトーンを出しながら、ある程度完成度もないと票が集まらない。その両方を持ち合わせるのが意外と大変で。若いときは、自分自身がどういうものが好きとか、どういうことがやりたいのかというのがまだ見えていない。日々の仕事と、グラフィックデザイナーとして個性を出していくこととのせめぎ合いがありました。ぐっと最近の話になりますが、良重さんは、独立してから変わったことってありますか?
渡邉 前より忙しくなったかな(笑)。でも、独立したからこそできることもたくさんある。例えば、KIKOFCACUMAのブランドをつくるとか、お店をつくるとか、展覧会をやるとか。これは、ドラフトにいる頃はそこまでは自由にはできなかったので、大きいですね。宮田さんには、お前らそんなことばっかりやって大丈夫かって、いつも心配されていますけど(笑)。どれもすごく楽しいので。
柿木原 独立すると、自己責任だからこそできるというのはありますよね。僕も、ミラノサローネで活躍する日本人デザイナーを紹介する「Salone in Roppongi」という企画や、カードゲームのブランド「Rocca」などを主催しています。デザインをするということと違う作業の多い仕事なのですが、ライフワークとして自己責任でできるので、やっぱり独立してよかったなと思いますね。