紙をめぐる話|竹尾の紙とデザインの歴史

2000年、竹尾は創立100周年記念事業の一環として、竹尾を代表する50銘柄を当代のクリエイターたちが語った書籍
『紙とデザイン――竹尾ファインペーパーの五〇年』を刊行しました。
この巻末付録としてまとめられた「竹尾の紙とデザインの歴史」を、ウェブサイトのために再録しました。
さらに、2000年以降の年表を、新たにウェブサイトのために制作しました。
竹尾の1世紀を超える歩みは、つねに紙とデザインの発展とともにあります。
年表監修(2000年以降):紫牟田伸子

1970's

山城隆一コラージュ作品
1970   羊皮紙、シープスキン、新だん紙、ピーチコート、スピカレイドボンド、スピカボンド、NKメタルカラー
ミニサンプルキット発行
カラーオンカラーVol.1発行
ペーパーショウ第5回「ファンシーペーパーと印刷デザイン展」開催(竹尾本社4階)
王子油化、合成紙の大量生産に成功 日宣美、解散式を全国5会場で同時開催
日本万国博覧会(大阪万博)開催、テーマは「人類の進歩と平和」。デザイン顧問、勝見 勝のもとに日本初のアイソメトリック・マップを発行
「アメリカの現代グラフィック展」(AIGA・凸版共催)
国鉄「ディスカバー・ジャパン」キャンペーン始める
電算写植システムが本格的に実用化
赤軍派よど号乗っ取り事件
三島由紀夫、市ヶ谷駐屯地で割腹自殺
海外で初の原爆写真展(ニューヨーク)
永井一正作品
1971   きらびき、レザック71、MBSテック
紙パルプ業種100%資本自由化、国際化時代始まる 「バウハウス50年展」(東京国立近代美術館)
「ドイツのグラフィックデザイン展」(プラザ・DIC)
東京ADC、最高賞受賞の鈴木八朗「ゼロックスの新聞広告」
『遊』創刊(工作舎)
オリベッティ・コンセプトとフォルム展(東京プリンスホテル)
沖縄返還協定調印
環境庁発足
マクドナルド1号店銀座三越に登場
Tシャツとジーパン爆発的に流行
「カップヌードル」発売
中国の国連復帰決定
インド・パキスタン戦争勃発
田中光常「鳥」
1972   ファブリアーノカラー、レンケルレイド、オフメタル、アートドリーブ
カラーオンカラーVol.2発行
ペーパーショウ第7回「1972ペーパーショウ」開催、この回よりペーパーショウと呼称(23回まで於東京商工会議所)
東京・月島営業所(物流センター)開設
札幌冬季オリンピック開催、1966年に勝見 勝を委員長に設立された10名の専門委員会で、デザインを検討。文字、色彩、シンボルなどが「デザインガイド・シート」にまとめられる
プッシュピンスタジオ展(渋谷東急)
「ポスター・ニッポン1995―72展」(ギャラリーフジエ)
「グラフィックイメージ72展」(東京セントラル美術館)
連合赤軍による浅間山荘事件
『ぴあ』創刊、タウン誌の先駆
日中国交正常化
国連人間環境会議ストックホルム宣言採択
C.W.Walkington「手漉紙の旅」
1973   レオバルキーGA(発売時レオバルキー)
4代目社長竹尾正一就任
オイルショックによる紙不足深刻化、トイレットペーパー等の買いだめ騒動、出版物の定価上昇など起こる デザイン・イヤー・プロジェクト始まる(―1974)。グッドデザイン商品の展示、コンペ、出版など
すばらしい紙の世界'73―29人の作家展(松屋銀座)
季刊『デザイン』創刊(美術出版社)
世界インダストリアルデザイン会議(ICSID'73)京都で開催、38か国が参加
ベトナム和平協定調印(パリ)
ウォーターゲート事件
第4次中東戦争
江崎玲於奈にノーベル物理学賞
フォト・モンタージュ
1974   色図工紙、パステルカバー、グランデー、フレンチパーチ、クラシコファブリアーノ
株式会社竹尾に商号変更
省資源運動の高まり。生産者側としての初の財団法人古紙再生促進センター設立 日本デザイナーユニオン設立準備会発足、東商美と坂根 進(NAAC)が中心となり全国組織を志向、のちの日本グラフィックデザイナー協会の設立に向かう
勝井三雄、大淵武美ほか編『世界のグラフィックデザイン(全7巻)』
日本広告審査機構(JARO)設立
SIGGRAPH(Special Interest Group on Computer Graphics)第1回会議
セブンイレブン1号店開店
田中内閣、金脈問題で総辞職
戦後初のマイナス成長
栗津潔作品
1975   リネンペーパー、レザック75、新鳥の子、ゴールデントレーシング、ハイライトカバー
ハーベスト75(800色1,800種)発行
仙台営業所(1978年に支店)開設
ファクシミリ普及しはじめる 日本のグラフィック五人展(ローザンヌ、オスロ、ルイジアナ)田中一光、永井一正、福田繁雄、横尾忠則、栗津潔
石岡瑛子の一連の「パルコ」のデザインに注目が集まる
イタリアポスター展(イタリア文化会館)
ポーランド現代ポスター展(神奈川県立近代美術館)
沖縄海洋博覧会EXPO'75開催
日本赤軍クアラルンプール事件
「およげたいやきくん」ヒット
「Mook」があいついで刊行される
『エピステーメー』(朝日出版社)、『流行通信』(流行通信社)創刊
サイゴン陥落、ベトナム戦争終結
古代中国の文字
1976   ぬのがみ、ヴィベールP
東京デザイナーズ・スペース開設
第22回毎日デザイン賞(この回より毎日産業デザイン賞を改称、三宅一生の衣服デザイン活動が受賞)
現代ポスターの展望「私はだれ=Identity 1976」(西武美術館)
『POPEYE』(平凡出版)創刊、カタログマガジンの先駆け(ADは堀内誠一)
ロッキード事件、田中角栄前首相逮捕
大和運輸(現ヤマト運輸)が東京地区で「クロネコヤマトの宅急便」を始める
藤沢に東急ハンズ1号店
中国、周恩来、毛沢東が相次いで死去
中国で4人組逮捕
加賀の水引
1977   ベーテル、クロスライク、ネオウーブン
『世界のレターヘッド』出版
第12回竹尾ペーパーショー「触れて視る紙5000点」展開催
株式会社第二西北紙流通デポ設立
「日本のイラストレーション展」開催(パリ、ロンドン)
「日本グラフィックデザイン展」(オランダ)
第1回NAAC展
東京ADC25周年記念「メディア・アート展」開催
東京国立近代美術館工芸館開館
「Gマーク制定二十周年記念展」(新宿伊勢丹)
200海里漁業水域を設定
ピンクレディ人気
王貞治、本塁打756本の世界新記録
日本赤軍ダッカ事件
サダト・エジプト大統領、イスラエルを容認
ポンピドゥセンター開館
和紙と生活文化
1978   クレーター、ピーチケント、ギルクレストボンド
本社社屋完成(神田錦町3-12-6へ移転)
株式会社第二西北紙流通デポ高島平物流センター開設
折り込み広告の需要拡大で、中質コート紙の伸び大幅増 日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)設立
現代公共ポスター展(日本産業デザイン振興会)
朝日ゼミナール「いまデザインは」で、デザインの可能性、諸問題について講議
成田国際空港開港
植村直己、単独犬ぞりで北極点到達
筑摩書房倒産、出版界に衝撃
日中平和友好条約調印
世界初の試験管ベビー誕生(英)
日本の切絵
1979   レザック80ツムギ、きぬもみ
福岡出張所(1989年に支店)開設
創立80周年記念出版『世界の手漉紙』
『広告批評』『イラストレーション』創刊
避難誘導のピクトグラム公募、入選1点(小松谷敏文)を決定
資生堂アートハウス設立(掛川)、明治から今日までの同社の広告活動を紹介
日本専売公社シンボルマーク(上条喬久)
第29回アスペン国際デザイン会議テーマ「日本と日本人―矛盾の統合」
ソニー「ウォークマン」発売
東京サミット第5回先進国首脳会議開催
インベーダーゲーム流行
YMO、山口百恵人気
イラン革命
スリーマイル島原発事故
ソ連、アフガニスタンに軍事介入

1980's

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