紙をめぐる話|紙について話そう。 No.01
植原亮輔
アートディレクター
原田真宏
 建築家

ジャンルを超えたふたりが、屋根も
垣根も超えて話し合います。
今回は、アートディレクターと
建築家が「肌理(きめ)」について。

2009年6月17日

初出:PAPER'S No.32 2009 夏号
※内容は初出時のまま掲載しています

植原亮輔・原田真宏

原田 僕にとって紙はドローイングする対象だったり、建築をスタディーするときには、カッターでシャキシャキ切りながら、立体モデルをつくって、それから平面に落とすための素材。植原さんのつくっているものは、なんか高さがあるんですよね。僕の場合は建築だから、XYZでいつも図面を描いているんだけど、グラフィックって普通は平面を描くじゃないですか。つまり記号を描いているわけなんだけど、植原さんはXYだけ描いているわけじゃなくて、なんかというか、極薄のZがあるように思う。そのZがすごくおもしろくて、初めて作品を見せてもらったとき地形とか都市をみているような感覚がありましたね。ちょっと平面から飛び出ているような、平面の世界だけに住んでいない人なんだなあ、と思いましたね。
植原 確かに、レイヤー的って言われたことがありますけどね。昔、大学の頃、テキスタイルの原画を描くのにスポンジでたたいてみたり、金を縫ってみたり、絵的に厚みを出すみたいなことをやっていたこともあったので、その流れもあるのかな。
原田 肌理ってありますよね。紙って見ると同時に触っているでしょう。ここにも深さというかZ方向の情報、触覚でも情報が入ってくるから、微視的に言って、ここにも地形があるんですよ、きっと。僕はいつも肌理ということを考えて建築をつくっているから、植原さんの仕事に惹かれるところがあるのかな、と思うんですよね。

レイドが好きですね。
あの四角が、たまらなく。

植原 グラフィックデザイナーって伝わればいいみたいなところがあって、伝わるにもスピード・コミュニケーションみたいなのもあるんです。広告ってそうでしょう。紙に興味が足りない人も意外といて、そこが僕とは違うところですね。僕は人に直接送るDMとかが多いから、触って開くみたいな質感を組み込むというのが必要なので、肌理を大事にしてる。
原田 全く同じことが建築にもあるな。グラフィックは意味を伝えて、同じ意味が頭の中で再構成されやすいようにという、スピード・コミュニケーションってそういうものだと思うんだけど、そのときにテクスチャーが邪魔になるんでしょうね。情報の余分な重さみたいな。
植原 そうそう、なんかね、ひっかかってはいけないみたいな。
原田 建築も全く同じで、ある意味としての空間を伝えたいとかというところもあって、つまり現代建築にとってはメッセージのほうが重要だったりもするから、それを伝えるにあたって、肌理なんかがあると情報が重たくなって、メッセージがピュアでなくなるというような流れもあるんですよ。僕もそれが寂しいなと思っていて。建築はメッセージでもあるけれど、住んで接するものだから、環境に重きをおくならば、肌理を捨てるわけにはいかないよね、というところがあってね。
植原 難しいよね。これが「好き」みたいな。「好き」という感情をどこに入れるかということがありますよね。そのためには、すごく削ぎ落としていった場合、質感でしか自分の好みを出せないというところはある。僕は質感が好きなんですよね、しなりとかシワとか。
原田 僕は「毛深いコンクリート」ってよく言いながら設計している。肌理のことなんだけど。前は建築ってコンクリートもガラスもツルピカを目指していたんだけど、それで捨て去ってしまったおいしい部分が現代建築はいっぱいあってさ。それを僕は取り返そうとしている感じ。そのときのキーワードは毛深さ。
植原 毛深いのってどういうふうに理屈で説得するの?
原田 スネを見せながら言うわけじゃない(笑)。ツルピカ真っ白建築って、できたときは格好いいのね。だけど日本は雨ふるし、大気も汚れているし、どんどん汚くなっていくじゃない。だんだん悲しくなっていくから、最初は毛深く、肌理が強いと、経年変化が織りの粗いデニムみたいに味わいになってくる。
植原 もうね、毛深いのでお願いしますって言いたくなりますね(笑)
原田 うまく毛深くしたいんだけど、でも僕の表現が粗いな、といま思ったな。レイドとかウーブとか言っているのと比べたら、まだ肌理があるかないかって程度でまだまだ解像度が粗い。
植原 けっこう、ミクロの世界だからね。まあ僕らは大きくてもB倍サイズだから、大きさで言うと。建築とは違うから。しかも紙って感情を左右するでしょ。一枚一枚に感情があるんですよね。例えば年賀状の紙を選ぶときにも、僕はツルツルの紙を絶対に選ばないわけですよね。なんかほっとする紙じゃないといやだなあと。
原田 そういうことを聞くと、感覚の肌理というか、蓄積されているものがありますよね。そういう蓄積が、僕からするとデザインの鉱脈のようで、掘っても掘ってもまだまだおいしいデザインが出てきそうな。

しっとり?ふわっと?好きだな。

植原 僕ね、自分の紙見本をつくったら、少ないだろうな、と思いますよ。僕はちょっとしっとりしていて、だけど触るとすっと、指紋にざらざらっと感覚が残るみたいな紙が生理的に好きなんでしょうね。しらおいマットとか、GAスピリットとか、GAスピリットはすごいいいですよ、ほんとに。石膏のような質感が。
原田 おもしろいなあ、それは。「しっとり」? ひっかかるなあ、現代建築ってそういう感覚ないもんなあ。
植原 アラベールも好きだな。
-風合いを出そうとするとゆっくりつくらなければならないんです。早くつくると相当フラットになるんです。ふわっとするにはゆっくり…。
原田 「ふわっと」。好きだな。紙を語るときの表現がいいよね。しっとりとかふわふわとか。
植原 ヴァンヌーボの白よりGAスピリットの白のほうが白いですね。ルミネッセンスはさらに白いけど。
原田 僕も白は結構こだわるの。同じ白でもローラーか、スプレーか、ハケかで、全然感じが変わるんです。ローラーでも起毛の大きさで変わるから、この建築は固いローラーで塗ってくれとか。
植原 おお~。そこまで指示するんですか。
原田 そこまでやるとやっぱり違いますね。あと、感情的にも違いそうですよね。筆の跡に感情が入ってくるとか。大切につくられた感のある白と、工業的な白とある。大切につくられた白のほうが、その後も大切なものをその建築が呼び寄せてくるものですよね。
振り返っても意味ないけど、日本の伝統的な建築では、紙にもこだわって使っているんだよね。ふすまとか障子とか。すごくいろいろなパターンがあって、それがいまひとつ活かされていないのは悔しいなと思う。
植原 なんでかなあ。和風のものがいやだなと思う傾向はありますよね。でも歳を少しでもとると、桂離宮に行ってすごくいいとか思いますよね。
原田 伝統への批判的なところはモダンデザイン全般にありますよね。論理化できないものの価値を認めないというのが現在だと思うんです。それ以前は論理化できないものの世界だったでしょう。わけわからないけど魔女狩りがあったり、わけのわからない感情で首をはねられたり。それはやめて理性でいきましょう、ということで現代が始まっているから。でもやっぱり、理性では計れない価値みたいなものがあるのも確か。伝統が蓄積して来た肌理とか感情の世界もそうですよね。みんなに浸透力のある共感の世界を建築家がどうつくれるかというのが、僕も含めた現代の建築家の主題だと思ってます。そこにこそモダンデザインの求めてきた本当の意味での普遍性がある。

素材が拓いてくれるってところ、あるよね。

植原 僕の勝手な想像なんですけど、建築も有機的なものが増えてきているような気がしているんですよ。有機的というのは質感にも迫るようなものだから、どんどんそういうのが大切になっていくのかな、と。
原田 形態が有機的なタイプと、素材の有機性のほうに向かうタイプがいる。両方ともモダン建築が捨て去ったものの再評価なんですけど。形態有機的かつ素材有機的にしちゃうと結構ファンタジーの世界にいってしまうので、オフサイドラインを見極めながら、どちらかからやろうみたいなところがあるんだと思う。ドゴン族の巣みたいになっちゃうでしょ。
植原 ははあ。確かにそうだ。かたちは有機的だけど、素材は無機質にするみたいな。
原田 例えば樹脂系のセンスみたいな。建築でも現れはじめてますけどね。有機的って言ってた中に、プラスチックのセンスもあるんですよ。立体成型でつくるからどんなかたちにでもできて、そこには可能性を感じているんですけど。
植原 樹脂で建築がつくれるんですか?
原田 FRPって固い樹脂があるんですよ。壁にも使うし、屋根材としてはもう一般的。鉄板葺きのかわりにFRPが使われてます。まだ様式化されていないけどFRPがなりたがっているかたちってあるはずじゃないですか。そういうのを探すっていうところに、デザイン的にはまだまだ開拓の余地がある。素材が拓いてくれるところってありますからね。
植原 「好き」という感情をどこに入れるかということがあるじゃないですか。それにはすごく紙が重要で、削ぎ落していった場合、質感でしか自分の好みを出せないというところがある。僕にはそれがすごく重要。もちろん、選択肢がない場合もありますけどね。ワイシャツの襟の紙でしかできないとかいうときは、この質感だとどういうインキがいいかとか、どんな印刷にしようかという考え方をしますね。
原田 そのときも襟芯の紙の質感をデザインに活かしておいてあげようと思う?
植原 そうそう、質感を利用してギャップをつくる。
原田 必然的に見えるよね。ワイシャツの襟芯の紙を使いたかったんだろうな、と見えるくらい。
植原 ほんとうはステーショナリーペーパーとかばっかり使いたいですよ、正直言うと。透かしがあるし、薄いのもあるし。
原田 でもさ、それが使えるようになったら、フランス料理に食傷した裕福な老人がお茶漬け食べるみたいになって、最後は藁半紙を使うんじゃないの?
植原 まあね(笑)。