紙をめぐる話|紙について話そう。 No.29
竹村眞一
文化人類学者、京都造形芸術大学大学教授
林 裕輔+安西葉子
 DRILL DESIGN

この世界を見つめるための目が
どんどんと増えていくような対談です。
石油、水、ゲノム、地球儀…
様々な視点を通していくうちに
だんだんと紙の未来も見えてきます。

2019年9月26日

初出:PAPER'S No.60 2019 秋号
※内容は初出時のまま掲載しています

竹村眞一・林 裕輔+安西葉子

僕らは二人とも学生時代に竹村さんの講義を受けていました。衝撃的だったのが、世界で起きている現象をピアノの蓋で例えた話。船が難破して海に投げ出されたとき、ピアノの蓋が流れてきたら必死にしがみつきますよね。それって一時しのぎでしかないのに、いつの間にか唯一の手段だと勘違いしてしまう。今手放せないと思っている技術や環境もそれと同じなんじゃないかと。それまでの常識が覆されるような指摘でした。
竹村 それって突飛な例えのようで、実はすごく分かりやすい話なんです。例えば日本は今でも石油や石炭にしがみついていますが、一番しがみつきたいはずの中東の産油国が、いち早く太陽光発電に取り組んでいて、一番安いと言われていた石炭火力発電の五分の一ほどの価格の、非常に効率のいいメガソーラーをつくっている。地球の温度上昇を1.5度以内に抑えようとすると石油の埋蔵量の約9割が燃やせないことがわかってきたので、さっさとピアノの蓋を捨てて新しい常識を取り入れようとしているわけです。サウジアラビアの元石油相アハメド・ザキ・ヤマニさんは「石器時代が終わったのは石がなくなったからではない」と言っています。つまり、青銅器や鉄器というイノベーションがあったから人類は石器を使わなくなったんだと。それと同じことが今起きているのだと思います。

 

頭の中の足かせを外す。

紙でも同じことが言えそうですね。今は紙をつくるのに大量の水が必要とされていますが、何かの拍子に水が使えない状況が発生しうることを想定して、水を使わない製造技術の可能性もどこかで考えておいた方がいい。そういう多角的な視点を持つきっかけを竹村さんの授業から教わった気がします。僕らがtakeo paper show 2018「precision」に出展した作品「ハレの段ボール、 その成型」で段ボールの色と成型の新しい可能性を探ったのも、コストとリスクの問題で茶色のクラフト紙一択だった状況に対して、別の選択肢を用意したかったからでした。多様性は豊かさにもつながりますし、何かが起きたときのセーフティネットにもなる。
竹村 今ある解答は誰かがある時点で最良だと考えただけのものですからね。原料に木や水を使わないストーンペーパーのような紙もありますし、本当はもっと色んなことができるはず。みんな自分で履いた足かせで身動きが取れなくなっているんですよ。だからすべての僕の仕事のモチベーションは、少し大げさにいうと「人間解放の思想」です。プログラムされている遺伝子から容易に逃れられない他の生物と違って、人間は不完全で生まれて、一生未熟のままです。それは弱さであるのと同時に自分をリセットできる強さでもある。数百年に渡る先人たちの経験資源や、生命進化のような地球の歴史資源までも取り込んで自分の思考を変えられる自由があるのだから、いつまでもピアノの蓋にしがみつくのはやめようよと。
安西 私たちの元々のルーツは社会学や経済地理学という世の中の問題を見つけ出す学問で、そこで見つけた問題を解決する手段としてデザイナーになりました。だから美しさや目新しさだけではなくて、つくるものによって社会の意識を変えていくのがデザインだと考えています。
竹村 そういう感覚をデザイナーがもっていることが大事だと思います。今はデザインがゲノム編集や再生医学のようなかつてない領域にまで広がりつつありますよね。遺伝子操作によってHIVの耐性をもって生まれた子どもが、別の視点で見ると免疫力が非常に抑えられてしまっていて全体最適からは程遠くなっているように、我々が浅知恵で良し悪しを判断することが、どんなに下手なデザインになりうるか。弱い部分を併せ呑んでも得られるメリットがあったから、生命はそれをうまくマネージして生きていく道を選択してきた。エネルギー問題にしてもそうですが、なんのリスクもコストもなくメリットを得ることはできないわけです。その両面をみんなが理解できるかどうか。
見方によって問題の所在が変わるということですよね。一方的なものの見方をせず、あらゆる問題を見渡して初めて本当の問題提起ができて、そこからようやく問題解決に向かえる。竹村さんのお話を聞くと、いいデザインってそう簡単にはできないなといつも実感させられるんです。

 

到達点どころか、まだ幼年期。

竹村 でもね、一方でこんなに自由が広がっている時代はないんですよ。確かに勉強すべきことは多いかもしれないけれど、その分だけ自分を解放できる範囲が何倍にも膨らんでいる。それを知らずに狭い井戸の中でデザインしていたら、デザイナーというリソースを社会全体として非常に悪いかたちで使っていることになりますよね。
デザインって、何かの抑圧から解放されたときに伸びていくものではないでしょうか。ちょうど今年でバウハウスが100周年になりますが、ワイマール共和国という民主的な憲法を持つ国が生まれたことで閉ざされていた空気が一気に解放されて、ああいった自由を表現できるデザインが開花したように、環境問題が取り沙汰されている現代でも、何かを爆発させるきっかけのようなことを起こさないといけないと感じています。
安西 既存の価値観が揺らぐことで、それまで見えなかったことに気づけるようになりますよね。グラフィックのデザイナーをやっていると、どうしても完成品としての紙のことだけを考えがちですが、その手前には製紙工場があって、木材があって、森がある。そこまで視野を広げると、紙を使う以前のステップに対しても何かアクションできるんじゃないかと思うことがあります。私たちが「geografia」という地球儀をつくったときにも、「地球って丸いんだ」ということに改めて気がつきました。天気図のような平面地図ではどうしても地域が分断されがちですが、丸い地球儀で見るとアマゾンや北極がひとつながりにあることが実感しやすくなる。分かっているようで感じられていないことが実はまだたくさんあるのに、デザイナーって意外と視野が狭くなっていたりします。竹村さんとお話しているとそういう部分の窓がパカパカと開いていく感覚があるんです。
竹村 21世紀というのは人間と文明の到達点みたいに言われたりしますが、僕はまだ幼年期だと考えています。人間自身も、人間がつくっている最先端と呼ばれるものもね。生物の進化を見てみても、たとえば鳥なんて当たり前のように空を飛んでいますけど、よく考えると実に不思議じゃないですか。まず軽量化して、気嚢という息を吸うときも吐くときも酸素を取り入れられる仕組みをつくって、肺だけよりもずっと効率的に呼吸できるようなった。だから酸素の薄い標高八千メートルのヒマラヤ越えなんかもできてしまう。それは酸素が溢れる好都合な状況では決して生まれないクリエイティブな適応策だったんですね。実際、気嚢は地球の大気が著しく低酸素だった時代に進化しました。そこまで解像度を高くして見ていくと、この地球には膨大なデータベースが眠っていることが分かってきます。科学はまだ未熟ですが、孫やひ孫の世代になれば、人類の次の技術やデザインのヒントを世界中の地域や生物から引き出せるようになるはずです。そういう発想で地球を見ることができる自由を小学生くらいにまで広げていけると、これからの世代がもっとワクワクできるような未来が展開していくのではないでしょうか。

 

環境問題というより、コミュニケーションデザイン問題。

デジタルのいいところって、たくさんの情報を簡単に引き出せて、気軽に学べるところですよね。一方で、情報を記憶するとか実体験として取り込むときには、紙は非常に役立つと思っています。「geografia」をつくったのも、そこに文字や絵を書き込んだり、色分けしたりするような能動性を引き出せると考えたからです。楽しんでいるうちに自然と地域間のつながりを知っていくことができるというか。
安西 そういうものが身近にあることも大切だと思ったので、手の中に収まるサイズにしました。
竹村 「precision」の書籍に載せたエッセイでも強調しましたが、デジタルが進むほど紙にしかできないことがたくさん見えてくる。そのひとつが書き込めることです。情報空間を立体化していく行為として紙に書き込んでいく。そうやって属人化されることで自分の栄養になっていく。例えば僕にとって本って書き込むためのノートなんです。印刷された文字よりも書いた文字の方が多いくらい。素材が紙であることってそういう意味でも大切だと思います。
竹村先生の「触れる地球儀」の副教材として、紙の「geografia」を使ってもらえたらうれしいですね。実際に「触れる地球」は、学校の教材として使われていたりしますか?
竹村 ようやくそこまで持ってきました。これまでは価格もサイズも大企業や博物館のような場所にしか置けない仕様だったのですが、今は価格も下がり、自分で抱えて運べて車にも載せられます。多いときには一日三カ所くらい回っていますね。朝は小学校、昼は高校、夜は経営者向け。地球芸人が巡業しているような感じですね(笑)。
目標は小学校のような場所にどんどん取り入れてもらうことですか?
竹村 地球儀がなくてもみんなの心の中に地球儀がある時代をつくることが最終的な目標ですね。もちろん一足飛びにはたどり着けないので、あの地球儀を小さな頃から触っていることで、地球の裏側がどうなっているのかなとか、アマゾンが燃やされていることに対してもう少しリアリティが持てるようになるとか、北極の氷が溶けるとホッキョクグマが困るだけではなくて、それによって偏西風が影響を受けて、中東などの干ばつがひどくなって、その影響でシリアの内戦が起こった、というような転換がシステマティックに理解できようなリテラシーを育てたいと思っています。先日も女子校で、「簡単にいうと森をハンバーガーに変えているんだよ。牧場を拓くために火を着けて、毎日京都盆地くらいの森がアマゾンからなくなっているんだよ」という話をしました。このままの勢いだと、高校生たちが社会に出て行く頃には、地球の酸素の五分の一をつくっているアマゾンの半分くらいが砂漠化してしまうと。試しに「ハンバーガーと森のどっちが大事?」って聞いてみたら、みんな一斉に「ハンバーガー!」と答えたんです。それって家が火事になっているのに「私たちに関係あるの?」なんて言いながら、燃えている部屋でハンバーガーを食べているようなものです。本当に本気で考えないといけない状況だと思いました。でもこれって環境問題ではなくて、コミュニケーションデザインの問題ではないでしょうか。政治家でも企業でもなく、クリエイターが関与しているコミュニケーションデザインの世界が地球とインターフェイスできていない。だから情報環境そのものをもう少しアップグレードしていくことで、僕らの暮らしや生き方、そして地球が変わるんじゃないかと思います。

 

すべてをデジタルに渡さない感覚。

安西 さきほど竹村さんが仰った「幼年期」という言葉ってすごくポジティブですよね。大人も学生も含めて、もしかしたら子どもたちも、世界はもう行き着くところまで行っていて、ここから良くなることなんてないだろうという気持ちになっているじゃないですか。そうではなくてまだ発展途上なんだよと言われると前向きな気持ちになるだろうし、自分たちで時代をつくっていく気分も生まれるだろうから、すごく勇気をもらえる言葉だなと。
竹村 本当に不思議なのが、「技術がここまで進んでいるのに」なんて思っている子どもたちがとても多いことです。一体誰がそんなことを教えているんでしょうね。
子どもたちへの教育がすごく大切になりますよね。そういう情報をいかに分かりやすく、身近に感じられるように可視化できるか。コミュニケーションのデザインですね。本当に。
安西 日本は特にそういう意識が低い気がします。プロダクトデザインの世界も動きとして鈍いですし、責任は重いですよね。メーカーさんたちと一緒にどうやって変わっていくかを真剣に考えなければいけませんね。
竹村 ただもしかすると、その部分ではこれから日本やアジアが大事な役割を担っていくかもしれないと考えています。西洋対東洋のようなつまらない話をするつもりはありませんが、ヨーロッパ社会の場合、どこかで人間よりも科学、人間よりも機械、人間よりも技術を絶対視するところがある。だから人間はまだ幼年期で、石器を捨て鉄器を捨て、ピアノの蓋を捨ててその先に行けると腹の底から思えるポジティブな人間観は、我々の方が自然に持っていると思います。
AIの話もつながってきますよね。
竹村 その通りです。GAFAに代表されるような、ビッグデータを用いたデータマイニングが人間の暮らしを支配するなんて僕には信じられないですよ。勝手にどうぞという感覚でいますね。
安西 確かにそういうことに折り合いをつけていくのは、アジアとか日本の方があるかもしれないですね。毒をうまく取り込みながらやっていくような。
竹村 すべてをデジタル空間に渡してしまわない感覚ですね。手触りのある紙とARやMR技術などの電子情報を上手に連携させて、人間と紙がつくりだす重層的な情報空間を無理なく拡張させていく。生命進化と人類の技術進化を連続的に捉えていくという自由がそこにはありますし、我々は今、その自由を人類史上初めて得ることができた時代に生きているんです。

 

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