紙をめぐる話|紙の研究室 No.15

手ざわりの言葉
─歌人に教わる触覚を
言語で再現する方法

ざらざら、つるつる、さらさら、すべすべ。紙の触感を伝えるとき、私たちは無意識にオノマトペを使いがちです。しかしひとくちに「ざらざら」といっても、その種類は多様なはず。手ざわりをもっと緻密に言い表すためには、どんな言葉を選べばいいのか。社会的な規範に縛られない自由な言語感覚で、短歌、評論、エッセイと広範囲に活躍する歌人の穂村弘さんに、手ざわりにまつわる短歌を紹介してもらいながら、さらなる表現の可能性について訊きました。

オノマトペ=擬音語、擬声語、擬態語を包括的にいう語。

初出:PAPER’S No.46 2014 春号
※内容は初出時のまま掲載しています

 
手ざわりの表現を短歌から探る

手ざわりを詠んだ短歌を選んでおもしろかったのは、作者がほとんど女性だったこと。ひょっとしたら触覚には性差があるのかもしれないな。考えてみたら洋服を選ぶ時なんかも、女性は触感に惹かれる人が多い気がするし。例えば一首目。たぶんこの人は主婦だと思うんだけど、普通は指輪を付けたまま包丁を使って料理しますよね。だけど指輪を外してミンチをぐちゃぐちゃ混ぜていたら、離婚の決意なのか何なのか、急に自由な気持ちが生まれた。
この時この人は夫との関係性から解放されて、動物に返っている。ちょっと恐い感じがするけど、触覚って他の五感とは違って、こういう獣っぽさとかプリミティブな感じがある。二首目もそう。本当の彼女って誰なんだ?ってことも気になるけど、それより恋人を触感で楽しんでるところが独特。男性の喉仏って女性からするとレアだから、そこに性的な何かを感じるんじゃないかな。喉仏は急所でもあるし、全体に不穏な雰囲気が漂う歌だよね。三首目は、なかなかうまいところを挙げてるなぁって感じた歌です。視覚や味覚なら簡単だけど、自分の国を触覚で表すのって難しいから。3つとも触感が違うでしょ、柔らかかったり、ひんやりと固かったり、ごわごわしてたり。でもどれもどこか日本をイメージさせるよね。触覚は記憶とも関係しているのかもしれない。そのものの固有の触感が脳内にインプットされているというか。


触感の微差を伝えるための「ソムリエ方式」

ここまで挙げた短歌はどれもオノマトペを使っていないけど、心の機微のようなものまで伝わってくるいい歌でしょう。そもそもオノマトペって「つるつる」とか「ざらざら」みたいに合意が取れたものしか通用しないところがある。もっと微妙で複雑なものになった時、それに対応する言語を「つむつむ」とか「ざみざみ」にしても、一般的には納得されないよね。じゃあ紙の場合はどうすればいいかというと、ひとつの解決策として「ソムリエ方式」があるんじゃないかな。ソムリエはオノマトペで表現しないよね。「朝もやの立ちこめる光の中で…」とか「爆撃にあった都市の焼け跡から掘り出された…」みたいな修飾を連ねていく。
「このワインは『にゅらもろ』ですが、こちらのワインは『にゅらもろぴん』で、その『ぴん』が違いなんです」とか言われても誰もついていけないから、比喩でいく。紙の場合なら「水をこぼしたら100mくらい流れていきそうな艶感」とか。その時に大切なのは、みんなが普遍的に知っている現象で例えること。
紙を触る行為って追体験できないじゃない?雨が降るのは共通体験できるけど、紙は実際に触ってみないと妥当性の判断がつかない。だから「カラスのクチバシのような光沢」なら成立するけど「ガビ鳥の…」ではだめなんです。こういうことを意識して実際の紙に当てはめてみれば、表現の可能性も今よりずっと広がると思うな。